GO EAST


僕の「原付ツーリング」デビューは、1996年10月19日
例の腐れ縁「真宗Jr」こと、「T」が、僕をそそのかして母親のLEADに乗せた所から始まる。


どこへ行こう?
「T」は「海がみたい」と言う。
言い出しっぺのくせに、僕にルート選びをさせるT。
それなら…と僕が選んだのは、伊勢湾
当時、自分のバイクで日本海は見に行ったことがあったので、いったことが無いところ…で選んだと思う。
覚えてへんけど、僕のことやから、多分そうやろう(笑)。


2人で、京都市からひたすらR1を東に走り、鈴鹿峠を越えてR23にたどり着く。
そこから南に下がって、伊勢湾に到着。
帰りはR163から三重県上野市→R422→滋賀県信楽町→R307、
県道16→瀬田(大津市)→R1



僕がなぜかナビゲーターを任され、ペースなど分からず、適当に走りました(笑)。
エンジンが持つかどうかでも不安やったし。
なんてったって、初めてやからね。
鈴鹿峠の三重方面下りの下り坂はエンジンブレーキが効かず、ずっとブレーキ握りっぱなし
良くぞベーパーロックしなかった、ディスクブレーキ!(笑)


R1のバイパスなんて、自分のバイクでなら、きっと気持ちよくかっ飛ばせるような直線が続いてるのに、
最高でも60km/hしか出ない50ccでは命からがら
飛ばしたら、スピード違反で捕まるかもしれんしと、せいぜい40km/h前半キープなので、
横を抜いていく車の怖いこと!
けっこうその点では神経も使いました。


ただ、たんたんと走るばかり。距離が稼げず、時間だけがどんどん流れていくことには結構イライラしていました。

津市内に到着し、昼飯にしようと思っても、日曜のために、お休みの店も多い。シケてる国道沿い。
これでも三重県の県庁所在地か!と怒り爆発させながら、ようやく見つけた県庁前のホカ弁屋。
ここまで来てホカ弁かよ…とぼやきながらも、道中何も食べていなかったので貪るように食べた記憶が。


状況が好転しないので、せめて、遅く走るのを欠点にするのではなく、利点にしてやろうと考えました。
車が少ない道では、並んで喋りながら走れるし、風景にも十分に目をやる余裕があるんですよ。
停まりたいと思ったら、どこでも停まれるしね。
バイク並べて、メット越しに大声で喋りな合いがら走るなんて、普通では考えられませんよ。
でも、それがおもしろい
え?そんなんしてたら、危ないやろって?
大丈夫、車来ぃひんし、若気の至りと言うことで……(^_^;;;)>


やっとの思いで、伊勢湾を目にしたときの感動って、5年余りたった今でも熱く鮮烈に蘇ります。
50ccをバカにしてた僕やけど、やれば出来るやん…と。
誰もいない汚い海岸やし、湾の向こうに見えるのはコンビナート群。ロケーションは極悪やったね。
けれど、そんなものはどうでもいいことやった。


帰りのR422、桜峠の登りでは20km/hしか出なくって、焦ったねぇ。
エンジンが苦しそうに唸るし、停まってしまうんじゃないかって。
途中で雨が降り出し、雨具を携行することなどの学習がなされていなかった2人は寒さに震えていたなぁ。
これ以降、必ず雨具は持つようになりました(笑)。


あと、ガソリンを入れに入った津市のシェルのスタンドの兄ちゃんが、現金カードの入会をして欲しいと言うので、住所を書いたら、
それを見て、彼は一瞬「は?」と凍りつき、バイクのナンバーを見て、更に驚いていました。
後から考えたら普通の反応やね、これって。言われてみれば。普通は しいひんわ、こんなん。
で、肝心のシェルの現金カードは未だ届かないですけど…。


日暮れ頃、無事帰ってきました。走行距離は255km


その日の僕の日記には、次の一言が記されています。
「原付に対する固定観念を捨てた。
原付ツーリングほど味のあるものは無いよ、と」


ここから、僕の原付道中が始まりました。
Tとはその後何度か、原付ツーリングをしています。
この楽しさに味を占めた僕が、その後1ヶ月とたたずに、更に腐れ縁の長い「Y」を誘って、日本海を見に行くことになろうとは…。


※写真を載せたかったのですが、「T」の許可が取れなかったので断念しました(悔)。