過保護な技術
※2012年9月にBBS上で議論した内容を再構成しました。
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僕たちの身近な乗り物である車やバイク。
これらは生活を豊かにしてくれます。
自分の行きたいところへ走っていける。
19世紀末にドイツで産声を上げたガソリンエンジンの自動車が生まれた当初の人々の喜びはいかほどだったか。
そして時は流れ、車やバイクの性能はどんどん進歩してきました。
便利になっていく。それはそれで良いことなのですが…、
僕にはどうも腑に落ちないところがありました。
なんか違うんやけど、うまく言い表せない…。
と思っていたところ、腑に落ちる一文が「JAF MATE」誌に載っていました。
一部転載いたします。
能楽囃子大倉流の太鼓方・大倉正之助さんの言葉です。
彼はバイクや車が大好きとのこと。
「(略)最近は電子制御が乗り手の持ち分だった領域にまで踏み込んできて、 乗せられている感じがしてちょっと残念かな。 安全性の追求はあってしかるべきだけど、でも少し過保護すぎやしないかい? 人間をフォローするつもりが、逆に危険を回避するのに必要な想像力や判断力、 ひいては感性というものを鈍らせている気がしてならないんです(後略)」 |
僕が探していた言葉がぎゅっと凝縮されています。
「過保護な技術」。
ここまでのものを求めてないんや。車は人が操るものであって、車が勝手に考えて操作するなど もはやお節介。
僕が車に求める便利装置は、せいぜいオートマ(AT)とパワーステアリング、ブレーキ倍力装置(サーボ)の3つで十分。
それだけあれば快適にドライブできるやん。
スマホ片手に左足を組んで指一本でハンドル回せるやん(嫌味)。
その中でも、最たるお節介はコチラ↓
それより先に、飛び出す子供を周りの大人が教育しろよ。
運転者のミスを自動的に回避してくれるなら、運転者はより横着になるがな。無免許の人が運転してもOKやな(笑)。
って言うか、運転者も要らんやん(笑)。
そんなアバウトな運転者が操る乗り物がはびこる道路など、おれ怖くて走れへんわ。
過保護な技術は結局、運転者の技術を退化させると思うけど、どうお考えでしょう?
参考資料:
「JAFMate」(JAF MATE社) 2012年10月号
京都新聞 2012年10月19日付朝刊