全開で時速18`b



過去に掲載した「原ツー」ネタは、全て大昔の出来事でした。
なので、今回は、先日行ったミニ・原ツーをリポートすることにします。
更に断っておきますけど、HPのネタ集めのために、無理して「原ツー」しているわけではないです。

走りながら感じたことを道中でメモ書きぐらいはするけど、それ以上のことはしてないよ。
ツーリングが「義務」になっちゃあね。職業ライター(ライダー、ではない)でもなし。
そこんとこ、よろしく。



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「我がまち 京都」「Best View O’HARANO!」を見た、関東地方に仮住まいの悪友「T」が、
2日前、金曜日の夜に突然電話してきて、「これから京都に帰省するし、明日
大原野へ行きたい」とのたまってきました。


以前にも「T」に対して「ばっちりな京都の風景を見せるし〜」と車で連れ出しながら、
いつも道を間違えて、マトモな風景を見せたことが無かったので、名誉挽回とばかりにOKしました。

実は、この1週間前に、「相棒」と大原野へ来ていたので、道はばっちり覚えてて当然ですよね(苦笑)。
ウン、大丈夫。


2002年3月16日晴れ。京都市の公立高校の合格発表の日。
なつかしいなぁ。1●年前の今日、僕の運命は決まったようなもの。この翌月に入学した高校で「T」と同じクラスになったんやから…。
ヤツとは、それ以来の縁やからね。
閑話休題。


大原野は、僕が
一番お薦めする京都市のビューポイント
車やバイクで来られる所で、これ以上の風景を見られるところは無いやろうと思う、
自慢のスポットです。
まぁ、行き方は
こちらを見てもらうことにして、感想をば。


バイクは、僕が母親のを拝借したLEAD50、
「T」は平地で
全開で何とか50km/h出る、ご老体のDio
それでも、山道にさしかかるまでは順調にいけました。
先を行く僕は結構怖かった…Dioがいつ止まるかと心配で(笑)。


僕、いつも行きやすい亀岡市から京都市側におりてくるルートしか通ったことが無く、それも、常に400ccの「相棒」で行っていたので、
坂道のことなど、あんまり深く考えていなかったんですよね。


京都市側の登り坂が、僕たち「原付族」に牙をむいたのです。
ブラインドカーブごとにクラクションを鳴らして遊んでいた僕たちでしたが、
LEADですらアクセル
全開にしても、原付の法定速度すら出ないんですよ。

エンジンが苦しそうに唸るのを「がんばれLEAD!」って励ましながら、登りきりました。
全開での最高時速、18km/hの最低記録をマークしながらも(笑)。
こんなとこでエンジンが止まったりしたら、
助けが呼べへんぞ、と思ってたのに、
「T」の持つJフォンは「バリ3」
でした。何で入んねーん!圏外になっとけー!


土曜日の昼下がり、
最高の風景は僕と「T」の2人占め
ほかに誰もいないのをいい事に、下界に向かって
放尿(スンマセン)。京都を我が手中に収めたみたいで、ああ極楽極楽
と、後ろで「チャラリラリーン♪」と音楽が。
なんと「T」が「写メール」でズバリそのシーンを
撮影してるやん!!!
放尿を止めることが出来ず、慌てている間に、僕のパソコンへ写真を送信しやがりました。


それがこれ→ 



いらんことすんなー!!!(-_-##)



ここのガードレールには、賢くないヤツがしただろう
「自称」芸術作品が描かれ、
崖下には
粗大ゴミがごろごろ捨ててあります。んもう、ダイナシ。

  

「T」が僕の背中を押して、僕まで「粗大ゴミ」化しそうになったんやけど、あれ、本気と違った?!(笑)


週末やし、クルマの
「バカップル」が一番見晴らしのいい場所にクルマを停めてやしないか
気を揉んだ僕でしたけど、
杞憂に終わってほっとしたのも つかの間。


1台のスーパーカブ(※ホンダの4サイクル50cc)が上がってきて、僕たちのそばに停まりました。


乗っていた
おじいさんが僕たちが身構えるより早く、馴れ馴れしく…じゃない、人懐こそうに話し掛けてきました。

僕がここに何度も来ているのを知ってか知らずか、
「下に見えるのが京都市で一番大きい“洛西ニュータウン”で昭和45年に出来た」に始まって、


「本当は南隣の長岡京市に(ニュータウンが)またがるはずやったのに、当時の京都市長●●(とても書けない)が
ウマいこと住民を説得できなかったから、こんなに狭くなった」とか
「買収額が●●町と▲▲町(やっぱり書けない)とでは●万円ちがった」とか、
「北隣の“桂坂”に京大の工学部が移転する」とか、
「ニュータウンの近所にJRの駅ができるはずやったのに、
阪急の新駅に変わってしまった」とか、
建設中の「きんでんビル(やったっけ?)」を指して「京都市のビルの高さ制限がどうのこうの」とか、ウンチクを僕に向けてくるんです。


かなり左よりで、行政を暗に批判する喋り口から、京都に関する市民運動などをされていた方だろうと察しました。
他の話題に振ってもまた「京都の裏話」に戻ってしまい、僕にとっては
頭が痛くなるばかり。そのわけは最後に分かります。


適当に相槌を打ちながら、
いつもはおしゃべりな「T」に目配せで助け舟を出してるのに、
ヤツときたら、知らん顔して「写メール」で遊んでやがる!

おれ一人に相手させる気かー!


ひとしきり話をして満足になったか、おじいさんは、カブに乗って、更に先にある森で「シキビ」を採りに行くと言って、去っていきました。
気楽な毎日やと言い残してかはりましたけど、
大正13年生まれの喜寿とは思えないほど、しゃんとした方でした。



直後、それまで黙っていた「T」が大爆笑するんです。
「どれだけ言うたろーと思った、
『コイツ、(※自粛)なんです〜』って」。


知らん顔をしながらも、話の節々から、
おじいさんは「(※自粛)は嫌いや」って思ってる、と感じたと「T」。
そうや、おれは確かにアウトローな(※自粛)や! 
だからおじいさんの話は「T」の思っている以上に おれかて感じてたし、グサグサ突き刺さるんや!



「T」が本当に言ったら、おじいさん、どんな顔をしたやろね。

おれ、
きっと説教されたんやろなぁ、
最高の京都の風景をバックにして、京都の地方自治はなっとらん!
とか言われて(笑)。
同時に「T」は、僕の手によって血の雨に打たれたことでしょう(笑)。