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洛中・洛外の出入口
京都市内には「口」のつく地名が いくつかあります。
カタカナの「ロ」じゃないですよ、ましてや□(四角)でもありません。
「くち」です。
その昔、京の都は豊臣秀吉により築かれた御土居(おどい)と呼ばれる土塁で囲まれていたそうです。
その内側を「洛中」といい、外側を「洛外」と分けていたらしいんですね。
囲まれた土地というと刑務所やベルリンの壁とかを思い浮かべますが、
それらと違うのは、京の都から全国各地への街道が伸びていて、
その起点に位置するところには出入口があったんですね。
それが、「京の七口」と呼ばれています。
「七」と言うだけに7ヶ所と思いきや、時代によってその数は変わるんですね〜。
なので、僕は母方の祖父が遺品の手帳に記していたしていた情報をもとに、参考サイトも使いながら説明していきたいと思います。
いうことで、ここで定義する「京の七口」は、以下の図のようになります。

地図データ (c)MapFan を改変
「七」といいながら9ヶ所もあるのは、先ほども書きました通り、歴史的な問題です。
京の七口を通るようにして描かれている楕円状の線は御土居のあった場所です。
では、北の方から時計回りで行きましょう。
・長坂口(ながさかぐち)
清蔵口(せいぞうぐち)とも呼ばれ、京都盆地の北西角に位置してます。
鷹峯街道から京見峠を越え周山街道を経由して丹波方面への出入口。
この周辺には御土居が多数残っています。


御土居のあったところは「旧御土居町」と地名で残っていて、現存する御土居の上に住宅も建ってます(笑)。

御土居のそばには「御土居餅」も売ってます。うまいこと商売してるやん(笑)。
この前は仕事で散々通りましたけど、買ったことも食べたこともありません(笑)。

・鞍馬口(くらまぐち)
加茂街道鞍馬口に位置し、鞍馬街道の出入口です。
出雲路橋がかかっています。

出雲路橋の先に見えている山は比叡山です。

・大原口(おおはらぐち)
寺町今出川に位置し、若狭街道(鯖街道)の出入口。
比叡山を経由し、滋賀県高島市朽木や福井県小浜市へと向かう国道367号線がそれにあたります。

・荒神口(こうじんぐち)
河原町通りの今出川と丸太町の中間地点あたり、河原町通荒神口に位置し、山中越への出入口。
府道・県道30号線で大津市へと繋がっています。
ここからも比叡山が見えてますね。

・三条口(さんじょうぐち)
粟田口(あわたぐち)とも言い、河原町三条の西側。
言わずと知れた東海道の起終点で京の都の玄関口です。
↓河原町三条から西の三条商店街を見ています

三条通神宮道の東側に粟田神社としてその名を残しています。

・伏見口(ふしみぐち)
五条大橋の西、河原町五条のあたりに位置し、伏見街道への出入口。
牛若丸と弁慶の対決場所として知られていますね。
(※当時は五条大橋は存在せず、本当は清水寺からまっすぐ西に行ったところにある松原橋と言われてます)

・竹田口(たけだぐち)
京都駅八条口の東側、竹田街道八条付近で、竹田街道の出入口です。

・鳥羽口(とばぐち)
東寺口(とうじぐち)とも言われていたようです。
↓御土居って、これ地名でも通り名でもないんですけど(汗)

九条通旧千本にあり、芥川龍之介の小説にも出てくる羅城門の跡があります。


鳥羽街道と、大阪へと通じる西国街道(さいごくかいどう)への出入口です。
・丹波口(たんばぐち)
千本通七条上ルに位置し、JR山陰本線の東側あたりです。
旧花街の島原があり、宴会場の跡の角屋や、遊郭の和違屋(わちがいや)などがあり、京の西の出入口の色を残しています。


桂川をこえ、老ノ坂から丹波地方へと通じる山陰街道と結ばれていました。
JRの駅名にその名を残しています。
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このように、御土居により洛中・洛外と隔てられていましたが、
江戸時代に大半が取り壊されたとのことで、現在はごく一部に残るだけです。
こういったことを知ったのは、実は仕事で御土居の近辺を通るようになった30歳代後半から。結構遅いんです。
ですが、そういうのを意識しながら街を散策すると、京都の歴史を感じられおもしろいですよ。
参考サイト:
「京の霊場」より「京の七口」
https://kyonoreijo.sakura.ne.jp/lib/gg/libgg7kc.htm
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