兄弟げんかの果てに




そのカバンを初めて見たのは、1991(平成3)年ごろ、3歳年上の友人が持っていた物でした。

そのころはバブリーな世の中で、多機能バンザイ、横文字バンザイと叫ばれた時代に、
時代にそぐわないシンプルなカバンで、そこへきてカバンの隅につけられたタグには日本語が書かれていました。

なんでも英語で書かれているのがカッコイイ当時にあって、誰でも読める日本語で記すなどダサいだけだったのです。
僕なら恥ずかしくてタグはすぐに取ってしまうわ。




……それが一澤帆布(いちざわ・はんぷ)との出会いでした。
タグには縦書きで「一澤帆布製」と記されています。


帆船の帆に使う布でカバンをはじめとする布製品を作っている老舗です。
大海原の強い風を受け止める布、本当に丈夫です。




昔は小汚い構えの店だったそうですが、近年改装し、おしゃれな店に変身。


カバンのシンプルさや丈夫さがウケて、いまや京都観光では欠かせないお買い物ポイントとして記載され、
人気ブランド
の地位を駆け上がっています。
製品は手作りのため大量生産がきかず、毎日午前中には大方売切れてしまうこともあるそうです。
僕がダサいとこき下ろした日本語のタグがまた人気の秘訣のようで。
おれも見る目がないなぁ。



ひとつ欲しいのですが、何しろ布製。雨でもバイクに乗って走り回る僕には水が滲み込んでしまうカバンは向きません。うううう(涙)。


ちなみに、地元の区民運動会で、ウチの町内の隣に構えた町内のテントは一澤帆布のタグが入っていました。
こんなものまで作ってるんかいな。



そういう一澤帆布ですが、昨年(2005年)に騒動が起きます。

先代会長・一澤信夫氏が亡くなり、遺産相続で兄弟げんかが起こってしまったのです。


長年社長を務めてきた三男が、過半数の株を相続した長男らに社長を解任されます。

長男は元銀行員で、一澤帆布にはノータッチだったそうですが、会長の死をきっかけに表に出てきた感じです。
いきなり出てきて横取りってのもありがちな話ですねぇ。
この辺の話は複雑に入り組んでいるのでこれ以上は書きませんが。


株というと、今年(2006年)六本木ヒルズに住む「自称金持ち」たちがくり広げたマネーゲームを思い出させ、イヤになるんですけど…。
ヤツらは「会社は株主のもの」と言っていましたが、一澤帆布も同じ道を歩んでしまいました。




☆解任された元社長である三男

一澤帆布の職人全員を連れて会社を去る(※職人たちは三男の下で働きたかった)

本店と通りをはさんで向かい側に「一澤信三郎帆布」という新ブランドの店を新たに構える

2006年4月から営業を開始

現在に至る。
平日でも400人が訪れる人気だとか。




☆対抗する長男四男とともに代表取締役に就任

営業再開を目指す

元銀行員の長男が財務など経営面を担当、同社で30年デザイン設計にかかわった四男が製造面の責任者を務める

けれども、職人も布も何もない状態

別法人の縫製工場にカバン生産を委託

2006年10月16日に、本店で「一澤帆布」営業を再開

東大路通をはさんだ兄弟の全面対決の始まり。




一言で言えば、兄弟げんかの末に100年続いた一大ブランドが分裂してしまった、と。



お互いに相手をけなしているようですが、客のことなど考えてないんやろうねぇ。
何をやってんだ、場外乱闘はやめてくれ〜。
上で「僕もひとつ欲しい」と書きましたが、今回の件でその熱もかなり冷めてきています。


理想は仲直りして、元のさやに納まることですが…それは当分なさそうですね。
どうか、今まで築き上げてきたものが崩壊しなければいいのですが…。


それより、街中で見かけた帆布のカバンに「一澤帆布」「信三郎帆布」、どっちのタグが付いてるかで、
持ち主同士でも優劣争いのけんかが始まったりして(笑)。



参考資料:京都新聞 2006年10月5日付朝刊


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その後、2009年6月に三男の解任取り消しを認める判決が確定し、
2011年4月6日に「正統な」一澤帆布の製品が5年ぶりに復活


看板は「一澤信三郎帆布」とし、「信三郎帆布」製品の販売も続けますが、店舗は旧一澤帆布に戻ります。

こうして、兄弟げんかは終結しました。



↓現在の一澤帆布はこんな風になってます。




参考資料:毎日新聞 2011年3月28日付夕刊