鞍馬の火祭り



京都の3大祭りというと、「葵祭り」(5月15日)「祇園祭」(7月17日)「時代祭」(10月22日)です。
京都人を自称する(^ ^;;;)僕は、3つとも制覇しています。
見に行ったのは どれも、かつてプータローをしていた時にですけど…。


この3つのお祭に共通するのは、どれも、静々と行われるということ。
都が1000年以上も続いていただけに、公家の上品さが如実に出ていると思います。

葵祭りと時代祭は、極端に言えば、日本の民族衣装(笑)を身につけた人たちが歩いてるだけですし。

祇園祭は、山鉾巡航より、
前夜祭に当たる「宵山」(7月16日)や、「宵々山」(7月15日)、「宵々々山」(7月14日)に
四条通や、烏丸通などに置かれた鉾を見るほうが(そんなものより、野郎どもはナンパにいそしんでるし)メジャーになっているし。
山鉾巡航で、鉾が交差点を曲がる時の「辻回し」が、豪快な位です。


それに、3つに共通して気に入らないのは、祭にアルバイトやボランティアを大量に使っていること。
求人広告に それがあるんですもん。
このHPにも度々でてくる、「真宗Jr」こと悪友「T」は大学時代に「時代祭」のバイトに行きましたしね。
その話では、衣装をまとって、御所から平安神宮まで歩くのが仕事で、日当は7500円
実際にあるくのは2〜3時間。
儲けもんということでした。


そういう話を聞くと、伝統的な祭の名が泣きます。
「バイト君を雇っている」という知識を通してみると、
確かに、若者の行列には統制が取れてなく、「カネのためにやってるだけやも〜ん」てのが、ミエミエです。

かつては、祇園祭もバイトを雇っていたそうですが、伝統を守る代償をバイトで補いたくないと、
無償労働のボランティアにとって代わりました。
だから、祇園祭に参加する町衆は、本当に祭を愛している人たちなのでしょう。
僕もいつか鉾を引いて、豪快な「辻回し」を体験してみたいものです。
ほんとうは、これも他人の手を借りず、町衆だけでやってほしいのやけど…ムリやし。

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さて、ここからが本題。
10月22日にある「時代祭」の夜、左京区鞍馬で、「火祭り」が執り行われます。

鞍馬の「火祭り」の由来は、西暦940年に、御所の祭神を 鞍馬の由岐神社に勧請した際、
村人達が総出で たいまつを燃やして迎えたという 故事にちなみます


僕はこれには、まだ行った事がありませんでした。

それどころか、僕の両親や身近な人、職場の同僚も行った事がないというのです。
ならば、おれが行くまでや! そう思い立ち、とりあえず何にでも首を突っ込まずにはいられない僕(困った性分で(笑))は、
10月22日の18時に、弟のDioをかっさらって、鞍馬に向いました
「相棒」で行きたかったのですが、鞍馬に向う道は1.5車線と狭く、
更に鞍馬神社の手前1kmから通行止めになっているので、どこかにバイクを停めなくてはいけない。
そのためには、小さいバイクのほうが融通が利くだろうとの判断でした。


鞍馬神社から3km離れた 京福電鉄「市原駅」にDioを停め、そこから電車で鞍馬に向いました。
そのほうが無難だろうと考えたからです。

しかし、火祭りがピークに向かう19時に、唯一の交通機関である 京福電車に乗るのは無謀でした。
2両編成のチンケな電車は、始発駅から乗ってる人で、通勤電車並
通勤電車などほとんど乗ったことの無い僕には、僅か10分程度の電車の旅が苦痛で仕方がありません。
チカンに間違えられないように、両手を胸の辺りまで上げて「私は無実の人です」状態を演出。
我ながらバカやなぁ。


そして、電車は終点「鞍馬駅」に到着。
ところが、ホームも どこからこんなに湧いて来たのか!と叫びたくなるほどの人の山。なかなかホームから出られない!
そりゃそうです、狭い鞍馬の集落に1万2000人もの見物客が押し寄せていたんですから。
駅からすぐそこの街道に出るまでに、軽く20分はかかりました。

更に追い討ちをかけるように、雑踏警備のK察官が ハンドマイクで「鞍馬神社は大変混雑しており、行けません」
と言っているではないか!

なんやてー!これでは肝心のシーンが見られないではないか!
ここまで ボッタクリで有名な京福電車に260円もの大金を払って来たんやぞ、引き下がれるかい!
とばかりに人波に揉まれながら、じりじりと鞍馬神社の方向に動こうとする僕。
が、狭い道を「たいまつが通るから」とほぼ全面的に封鎖しているので、
街道に出てから50mほども移動できず、祭りのクライマックスが近づきました。


そうです、「サイレイ、サイリョウ(祭礼、祭礼)」の掛け声が谷間に響き、
高さ5mにも及ぶ、巨大な たいまつが幾つも現れたのです。


祭りは一気にヒートアップ。
巨大たいまつを3人で担ぎ、街道に一つ一つ立て掛けて行きます。
でも、あまりに大きく重いので、バランスを崩し、立て掛けた たいまつが何度も倒れ、そのたびに見物客から歓声が上がります。
その迫力といったら!見た者しか分からない興奮に包まれます。


人垣のあちらこちらから カメラや携帯を握った腕がにょきにょき生え、フラッシュが光る。
僕もしてました(笑)。

巨大たいまつの集団の後には、小さな たいまつを持った人たちの行列
暗がりで見ると、人魂が舞っているようでした。
俺にも たいまつを持たせてくれえぇぇぇぇ!
「祭りに参加したい病」を発症してしまいました(笑)。




結局、鞍馬神社の山門の10m位手前で、一般の見物客はシャットアウトされ、
一番の見物である「山門前に集結した仲間達の諸礼」 「注連伐りの儀式」 「氏子巡行」が見られませんでした。

後から知ったことですが、
「火祭り」を最高の場所で見ようと思うのなら、「時代祭」を見ていてはいけないそうです。
12時から始まる「時代祭」を見ていては「手遅れ」なのだそうです。

そこまでしないといけないものなのか。
そして、僕の周りの人間の誰もが 「火祭り」に行ったことが無い理由も分かった気がしました。


21時を回り、残念残念と、鞍馬を後にすることにしました。
行きは電車でしたが、帰りは徒歩。
そのときに、鞍馬の各家庭に かがり火が焚かれ、屏風や甲冑などの宝物が飾られているのを知りました。

僕は、たいまつの迫力などばかりに気を取られていましたが、この地域にとっては、年に1度の神聖な行事だったんですね。
もっと知識をつけてから祭りに臨むべきでした。そうでないと、祭りを保存している人たちに対して失礼ですよね。


…で、1kmを歩いて、通行止め規制が始まる地点まで来て、愕然としました。
K察が立っているのにもお構いなしに、そこいら中にバイクや自転車が路駐されていたのです。
最初から分かっていたら、鞍馬神社から3kmも離れたところにバイクを停めなかったのに……。
横目に見ながら、とぼとぼと 暗い道を一人歩いていきました。