あたたかいハートをのせた軽トラ
二ホンって、いつから災害大国になってしまったのか。
僕が災害復旧のお手伝いさしてもらっただけでも、
震度7を初めて記録し大都市が壊滅した1995年の阪神淡路大震災、
震度7が2回も襲った2016年の熊本大震災、
大河川が決壊し町全体が水没した2018年の倉敷・真備町の大水害。
もっと過去にも、語り継がれる大災害は幾つもあったけれど、
年々頻度が増し、毎年どこかで街がめちゃくちゃになる。
熊本には震災の2週後に職務で災害派遣された。
言い表しようのない有様を前に、住民の方々は努めて明るかった。
決して言葉にはされなかったけれど、その表情は、後ろを見ても仕方がないからと語っていた。
そして今年は元旦に震度7に見舞われ、狭く長い半島の道が寸断されて陸の孤島と化し、
復興ままならぬうちに追い打ちをかけるように9月に豪雨災害に見舞われた能登半島。
泣きっ面に蜂なんて諺も、例を見ない2種類の自然の本気の前には無力。
今の僕は直接的に力になれなくて申し訳ないけれど、
ならばせめて力になっている方を紹介させてほしい。
遠く離れた京都は舞鶴から、
震災直後から30回以上(!)能登へボランティアに通う60代の男性。
現地で使う黒の軽トラで廃材を運ぶ際、荷台を囲うコンパネに
舞鶴市内の高校生たちが寄せ書きをしてくれたという。
彼らは街角で募金活動をし、日帰りで被災地へボランティアに行ったとか。
「ほんのひと言でも力になれる。自分が今できることはこの寄せ書き」をコンパネにのせた。
今日も高校生たちのハートをのせた軽トラは、能登のどこかを走っているのだろう。
これから冬に向かう由、現地の人たちの心があたたかくなりますように。
記事引用:朝日新聞京都版 2024年10月30日付朝刊