バイクに乗せてもらわない



このHPを立ち上げたときからの命題として、
毎年新学期の時期になると載せるべきかどうかと 悩んでいたテーマのひとつです。
そろそろ僕にもこれを書くことを許していただけるかと思い、文章にまとめました。



この春、新たに高校生になる僕たちの後輩にこのコラムを贈ります。
遠くなりつつある、あのころの自分と重ね合わせながら……。


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バブル経済が最高潮にあったころの、某府立高校の入学式。
満開の桜で埋め尽くされた下で撮ったクラスの集合写真。
あのとき出会った友人とは一生の友達でいたいと願っていました。



そんな高校生になったばかりの僕たち課された、ある約束事がありました。



「3ナイ運動」(3ない運動)と呼ばれたものです。



バイクに乗らない、バイクを買わない、免許を取らない
の3つの「ナイ」を遵守すること。



高校入学時前に、
「3ナイ運動を遵守する。
守らなかった場合、停学/退学の処分を受けても抗弁しない」
との内容の誓約書
を提出させられたことを思い出します。



高校生にとって原付免許は、都合がよかったんですよね。1日学校をサボれば取得できるから。



中免(今の普通二輪免許)を取りに教習所に通うと、見回りの先生に見つかったり、
教習所が学校にチクる(密告する)かもしれないリスクを背負う。
だから「高校生が乗るバイクは原チャ」の図式はおのずと出来上がったわけです。



当時山科盆地から出ることが無く、自転車がすべてと思っていた僕は、
16歳になってこっそり免許を取りにいき、DioやJOGに乗る友達を、「不良」と思っていました。
ほかにも、タバコを吸ったり、茶髪に染めたり、パーマをあてたり、化粧をしたり、
今では当たり前の、シャツの裾をだらしなく出すのも、ぜーんぶ「不良」行為だったのです。



ばいくニ乗ルノハ イケナイ事ダ、と、3ナイ運動の呪文で洗脳されていました。



そこまで呪文で洗脳させた張本人は、当時の生徒指導部長、K島という教師。
これがまたアンチ・バイクの帝王のような やたらと熱血な三十路男(当時)だったのでした。


僕が高校を卒業した翌年、
僕の2年下の生徒がバイクの事故で死んだとき(この生徒は当然こっそり免許を取っていました)は、
K島は校内放送で1時間にわたって、バイクがいかに悪い乗り物かということを延々説教した
と聞きます。


僕の時代ですらそんな状況でした。



それが21世紀の今では「4ナイ」になっている。「3ナイ」に「プラス1」されたのです。

ある日、仕事中に通りかかった某公立高校の入り口にこんな垂れ幕がかかっているのを見つけました。







世の中のバイク乗りがこれを見てどう感じるか。
僕が高校教師だったら、おいおい待てよこんなもの外せと、ストップをかけるでしょう。


ま、ここまでしてバイクを規制する理由に、若さが暴走するから、が挙げられるとおもいます。
1980年代のバイクブームも引っかかるのでしょう。



高校生になるまでは、自力で出せるパワーを超える乗り物を扱うことは無かった。
バイクは自分の体力能力うんぬんではなく、アクセルを開ければ、人間の能力を遥かに超越するパワー・速さを生み出してくれる。
だから、バイクに乗ると前後の見境が無くなりハチャメチャなことをして、取り返しのつかないことになるやもしれない。
それが理由でバイクを否定するなら、わからないでもないです。



けれども、学校がヒステリックなほどにバイクを禁止していた理由は、他のところにあるんじゃないのか?と、
僕が高校生だった当時から感じていたことがあります。




バイクで事故を起こされると、学校の評判が落ちる=教師の評判も落ちるから、
だからバイクを禁止してるんでしょ?K島生徒指導部長!!



さらに、4番目の「ナイ」は、「バイクに乗せてもらわない」








バイクに乗せてもらったら、自分もバイクを運転したくなるから、こんなフレーズが生まれたのだろうけど、
余計なお世話です、そんなことまで学校から規制される筋合いはないです。



高校生がバイクの魅力を覚えて何が悪い?



おれがバイクの素晴らしさを教えて何が悪い?
誘惑に勝つか負けるかは、本人次第やろう。



10代中盤なんて、何かにつけて刃向かう年頃ですよ、大人や世間をナメてかかる。
だれだって通る道だし、通ってきた道です。




自分の高校時代につけていた閻魔帳(一言日記のことですが)を読み返すと、
考え方などで自分自身では大人になっていると思っているが、行動が伴ってなかった
り。
ただ背伸びしてるだけなんですよ。
実際には、背伸びをしてもまだまだ届きません。




君子危きに近付かず的にバイクを禁止するのではなく、
その良し悪しを教えるのも学校の役目ではないのですか。


逆にバイクを認めて、学校でバイクの講習を行い、正しい乗り方や交通法規を学ばせるほうが有益でしょう。
それが守れないなら、そこで初めて免許証没収や 高校生としてのしかるべき処罰を下せばいい。
最初から頭ごなしに、「あれはアカン、これもアカン」と制限してしまうとかえって反発を招くだけ。
おれはそう思う。



僕は、バイク乗りがこういう扱いをされていることに、憤りなどではなく、深い悲しさをおぼえます。



ま、子供の粗相を、親たちは自分たちの育て方を棚に上げて
学校に責任をなすりつける傾向がありますので、ただ先生たちを責めたてるのもやりすぎだと思いますが。



家の近所に母校のPTAが立てた看板があります。

命はひとつ たかがバイク 散らすな青春

されどバイク、だ。


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法律は、16歳で400cc未満のバイクの免許取得を認めているのだから、免許を取るのは自由です。
なぜ16歳で許されるのか、…それは
「自分のケツは自分で責任を持って拭く」ことが出来る年齢だと、世間が認めているからです。
だからこそ、事故等を起こしたら社会的には 大人同様制裁を受けることも、忘れないで欲しいね。


えいまる君のお小言終わり。


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バイク通学を認めている例はコチラ→コラム「スーパーカブヶ島