ニッポンの400




当時、僕たちバイク乗りの憧れだった。
中免で乗れる最大のバイク。250ではなく、「400に乗ってます」と誇らしげに言っていたことを思い出す。

僕は金のない19歳の大学生にして、背伸びしていきなり車検がある400に乗っていたことも鼻高々だった。




400はニホンのバイク界のスターだった。そういう時代が確かに存在した。




しかしそれが日本にのみ存在するカテゴリのバイクとは思いもしなかった、当時は。
国内だけでも十分なマーケットがあったから、そんなことを気にする必要も無かったのだが。



ところが、
1975(昭和50)年から20年余り続いた、事実上上限が400までという日本のバイク市場
1996(平成8)年の大型二輪免許の解禁により一変。
大型バイクが次々と発売され、簡単に手が届くようになる。



維持費を安く抑えるなら、上限は車検がない250まで。
大型二輪免許を持っていたら、自ずと大排気量バイクを選ぶ
だろう。


そのために、車検があるせいで維持費が割高で、なおかつ排気量的にも中途半端なポジションとなった400は
人気がガタ落ちとなってしまった。
おりしもの平成不況で、趣味性が高いバイクは売れなくなる。国内マーケットの整理縮小は当然。



ヨーロッパでは保険の加減やパワーのバランスが取れた600が人気(100馬力出せます)。
バイク普及率が高い東南アジアでは125が多いが、一部で250にシフト(例:CBR250R)。



昨今のニホン国内仕様の400は、
バイクが盛んなヨーロッパ仕様の600の車体に400のエンジンを載せているだけの、
いわゆる「ダウングレード」ものが多い。


同様に日本独自のものであった750はほぼ絶滅し、
さっさと世界にあわせてオーバー1000やハイパワー化させた600などに化けてしまった。




もはや、ニホンのバイクの免許制度がガラパゴス化しているのは否定できない。




しかし、35年ほど前に今のバイクの免許制度の原点となる、排気量の区分が確立したときに
中免の最大排気量を400に決めた理由があるはずだ。
それが知りたい。


そうでなければ、中免が出来るわずか1年前の1974(昭和49)年
CB400FOURという、408ccのバイクなど発売されることなどなかったはずだ。
なお、1976(昭和51)年に、中免用に398ccにスケールダウンしたモデルが発売されている。




思い切って中免(普通二輪)も世界(ヨーロッパ)にあわせて上限を600までにしてもいいのかもしれない。
そうすればバイクも日本仕様/ヨーロッパ仕様などに作り分ける必要もなくなり世界統一仕様化でき、活路が見いだせるだろう。



ただ、なんでも世界基準に合わせればいいというものではない。


僕があえて言うまでもなく、
ニホンの公道において、大排気量・大パワーを十二分に使えるところなど、どこにもない。
大型バイクで10万kmを走った僕が言うのだから間違いない。
逆に大パワーに遊ばれるだけで、まともに乗りこなせている人がどれだけいるのか疑問だ。



過不足ない性能に、高速を2ケツで100km/h巡航もこなせる400が
この国のバイクらしく、しっくりくると思う。




そして僕は、青春のすべてをつぎ込んだ400を今でも愛している。




(2011.9.2)