5600人の京都シティハーフマラソン



今年も走ってきましたよ、2005年3月13日に行われた「第12回京都シティハーフマラソン」
京都盆地を豪快に走る21.0975km。
僕にとって前回のシティハーフマラソンがマラソン大会初参加でしたので、
マラソン大会参加開始1周年
となる、個人的に記念大会です。


参加メンバーもいつものとおり、
高校時代の友人、大本命の「川」、
おふざけトリオの内2人「西」「橋」
と計4人で(前回参加の「中」は仕事のため欠場)。


実は僕も欠場するつもりでした。
前日の昼下がりから腹の調子が悪く、トイレに何度も駆け込む有様で、食べたものも逆流(失礼)。
今日の朝も食べてはトイレ、飲んではトイレ…を繰り返し、食欲もなく、腹の中はカラッポ。
空腹に水分不足のこの状態で走ったら脱水症状を起こしかねなかったからです。


それが大会参加禁止規定のひとつに該当していたことを後から知りました。


でも、朝に服用した正露丸が利いてきたのか、少しマシになったのと、友人らの元気に励まされ、とりあえず走ることにしました。
アカンと思ったら棄権したらエエし、と。

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平安神宮をいっせいにスタート直後、
アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきとハイタッチをしてる「西」「橋」を横目で冷笑しつつ大集団に混じって走り出します。


直後、再び腹痛が僕を襲います。正露丸パワーでは腹の虫を押さえきれなかったのです。
出るモンは全部出している(度々失礼)ので、トイレに駆け込みたいわけではありません。
走って足が痛いのは我慢も出来ますが、腹の痛みはどうしようもありません。


去年は最後尾スタートで出遅れたため、今回はかなり前の方からスタートしたのに、ピッチを上げられず、
ひたすら後続に抜かれ
ていきます。
腹痛に追い討ちを掛けるような、真冬のような寒さ。
気温2度
だったそうです。


5ヶ所に関門があり、規定時間以内に通過できないと自動的に失格になるのはいつもの通り。
ゴールまでの制限時間は2時間で、「2時間ペースランナー」がノボリを持ってランナーに混じって走っています。

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腹痛に耐えながら自分のペースでのろのろ走り、
1ヶ所目の5km地点の関門は、制限時間8分前
に通過(←前回より早い)。
2ヶ所目の7.6kmの関門は5分前に通過。
たとえ僕の走りが遅くても、周囲はまだまだランナーが鮨詰め状態です。



3ヶ所目9.9kmの関門は制限時間4分前
ここから次の関門までが、だらだらと上り坂になるこの大会の一番の難所です。
そして、脱落者が一番多いのも4ヶ所目13.8km地点、国際会館前の関門です。


上り坂にあえぎながらも、ここを3分前に通過。関門はあと1ヶ所。
ここまでは何とか走ってこれたものの、腹痛のためペースがどんどん落ちているので、
最後の関門で足切りに引っかかると半ば諦めモードでした。


完走の基準となる「2時間ペースランナー」に15.5km地点であっけなく抜かれたことが
一番のダメージでしたが。


初の「未完走」レースが近づき、悔しさがこみ上げてきました。
タイムアウトで閉ざされた関門の前で、悔し涙を流す僕の姿をシミュレートしながら(笑)。


ところが、関門のある17.3km地点に近づいても、まだゲートを閉じていません。
時計を見ると関門閉鎖までわずかの猶予があるみたいです。


と、沿道の係員が「あと1分で関門閉鎖です」と言ってるではないですか!
ゴールまであと4kmなのに、ここで諦めてなるものか!
そこから関門までの100mあまりを必死こいて走り、残りわずか30秒前で通過できたのです。

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振り返ると、僕の直後で閉じられるゲートと失格になった選手たちが見えます。間一髪でした。
その先で僕の母親が仕事を放ったらかして沿道で応援してくれていました。
ひどい走りをしていましたが、それでも応援を受けると元気が出ます。それだけに関門で引っかからなくてよかったと思いました。


関門はすべて通過。これで心置きなくゴールを目指せる!そう思ったのもつかの間でした。


関門を通過できたランナーの最後尾に付く大会役員車と、パトカーの姿が。
僕の200mくらい後方でしょうか。この区間は長い直線路なので、それがはっきり見えています。


僕と最後尾の間にいる、関門の餌食にならず「生き残った」ランナーは、もう数えられるほどしかいません。
広い片側2車線道路をぱらぱらと走っているだけです。
わずか数分前を走っているだろうランナーたちはダンゴ状態の大集団なのに。
結果を見ると、1時間50分台で完走しているランナーは非常に多いのです。
ベストタイムが1時間50分台の僕が言うから間違いない(笑)。



ところが、それより後方にいる現在の僕にはさらに冷たい仕打ちが。
1分毎にマイクで「あと○分でこの道路も閉鎖になります」とか言っているのが聞こえます。


だー!!余計なアナウンスするなー!!あせるやろ〜!!
何千人も走っている大会で、自分が ほぼ最下位(ドベ)の恐怖は、体験したものにしか分からないですね。
心理的に追い詰められる空気は、こりごりです。


20km地点で、1時間56分30秒。制限時間まであと3分半。


体力が尽きた今の僕には、たとえ下り坂でもゴールまでの約1.1kmを3分半で走れるはずがなく、
やっぱり「ゴール直前で失格、未完走」が頭をよぎり
ます。



沿道の爺さんが「残念やったなぁ、間に合わなくって」と走ってるおれたちに向かって声を掛けます。
多分2時間を過ぎてしまったのでしょう。でも、「失格」の宣言を受けていない僕は走り続けます。
ふざけるな、まだレースは終わってへんのんや!!

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ゴールの平安神宮大鳥居が見えてきたとき、確かに時計は1時間台ではありませんでしたが、
この極悪な体調で21.0975kmを走って来られただけでも十分感動に値しますよ。


いや、最初から腹痛を言い訳にしていた自分がひどく恥ずかしくなりました。
苦しくも自力で平安神宮まで帰ってこれたやないか。毎日の通勤で見慣れた大鳥居が、自分を迎えてくれる凱旋門だった。
諦めず進み続けることが、間違いなく報われのを自ら証明できた。
ちょっとした自信がついた。


そしてゴールイン。タイムは2時間2分1秒。恥も外聞もなく思わず男泣きしていました。
大会関係者が「この道路の通行規制を解除しますので、すぐに沿道に上がってください」と水を差すので、
感激してる間も無く、その場をあとにしました。
最終ランナーまでゴールの余韻に浸らせてほしいねぇ。

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着替えに戻ると、残る3人が僕を待ち受けていました。
開口一番「完走できたんけ?」




もちろんやとも!!




残念ながら、4人ともベストタイムではありませんでしたが。
「川」が1時間12分、「橋」が1時間42分、「西」が1時間45分でした。
「橋」と「西」は沿道の観客とまた「ハイタッチをしまくってバテた」とか言ってます。



そんな余裕があるならもっと早く走らんかい!



ちなみに
男子の優勝は、三行(みつゆき)幸一選手(ホンダ)、1時間2分34秒。
女子の優勝は上野理恵選手(積水化学)、1時間10分54秒。



勝者である彼らは、たくさんの祝福や賞賛をされるでしょう。
でも、白バイやテレビカメラに先導され、お茶の間からの応援や脚光を浴び続けるトップランナーだけがマラソン競技の全てではない。
テレビに映らない、名前も呼んでもらえない大半のランナーたちが支えてこそ成り立つスポーツです。
走り続ける僕たちを、分け隔てなく元気付けてくれた沿道の20万人の観客(主催者発表)が、それを知っています。


で、いつものように走りながら思いましたよ。「二度とこんな苦しい競技に参加するものか!」と。
でも、また性懲りもなく苦しみながら走るんですよ。


すべてはゴールする瞬間のために。


(2005.3.14)


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後日、京都新聞の投書欄にこんな文章が載っていました。


どうやらこの男性の方と僕は、
抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げていた模様。


2人のレベルについては言及しないこと(笑)。
京都新聞2005年3月27日付朝刊より




後に公式記録証が届きました。

ゴール瞬間の写真まで載せてくれる豪華版です。遅かった僕にも頂けて光栄です。  

と、よく見てみると


















時間オーバーのために、順位が書いてない!!orz


ゴールの写真、よく見たら下を向いていて、頭しか写ってない!!orz  

うううううう(涙)、来年は思いっきりカメラ目線で写ってやるううううぅぅぅ〜



(投書引用:京都新聞・2005年3月27日付朝刊より)


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順位は、後にハーフマラソン実行委員会に文句を言うと教えてくれました。

男子完走者4422人中、4376位…ひどいなぁ、こりゃ(笑)。

「川」は100位台、「橋」は1700位台、「西」ですら2200位台やのに……。