大本命は新町通



※おことわり

このコラムは、本来「前祭(さきまつり)」、「後祭」と2週に分けて行われていた祇園祭・山鉾巡行を一緒くたにし、
「前(さき)の巡行」、「後の巡行」としていた、昭和後期〜平成後期の約半世紀間の時代のものです。

このため、現在の祇園祭のスタイルとは異なりますが、僕の一押しポイントは変わっていませんので、掲載当時のままにしています。
あらかじめご了承ください。


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↑のタイトルを見ただけで、真の意味が分かった方は、かなりのツウとお見受けしました。
これ以降の文章は読む必要が無いと思いますが、ヒマつぶしに読んでいってくださいな。


ともかく、ほとんどの方は意味が分からないと思います。
では、その意味を求めて、京都市のワンダーランドを旅することにしましょう。


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京都の3大祭りといえば「葵祭」、「祇園祭」、「時代祭」です。
そのなかの、祇園祭が今回の主役です。



毎年7月17日に、「山鉾巡行」なるクライマックスを迎える祇園祭ですが、
7月14〜17日の夜には、「宵々々山」「宵々山」「宵山」なる前夜祭があります。

どっちかというと、山鉾巡行より前夜祭の「宵山」などの方が人気があります。



日が落ちると、そこここからゆかたを着た人たちが集結(たまに右前で合わしてる人あり。それでは死装束やで(笑))。
各 山鉾から「コンチキチン」の鐘の音。
「チマキどぉどすか〜」の売り子の声。
「よォそこのネエちゃんおれと茶ァしィひんか(超死語)」と声をかけてるナンパヤロー共。
屋台が立ち並び、チョコバナナを食べてる親子連れ…。



祭りの意義はどこへやら、「宵山」は、どこにでもありそうな「夜祭」状態に成り下がっています。



去年は宵山に行ってますので、その辺についてはこちらをご覧いただくとしましょう。


僕にとって、そういう夜祭状態の前夜祭など、どーだっていいのです。
本番は、「山鉾巡行」なんですから。



折しも今年の7月17日は、仕事が休みの土曜日でした。
京都人の僕としては、「山鉾巡行を見に来なさい」と言われているようなものです。


と、言うわけで見に行ってきました。



その前に、少し山鉾巡行についてお勉強しておきましょう。


京都新聞の記事を転載します。
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祇園祭は、17日にクライマックスの山鉾巡行を迎える。

「動く美術館」と例えられる豪華な装飾品で飾った
32基の山鉾が京都市中心部の約3.6kmを巡る。

午前9時、四条通烏丸から長刀鉾を先頭に「山一番」のくじを引いた太子山、伯牙山などの順番に出発する。

長刀鉾稚児が四条通麩屋町に張った注連縄(しめなわ)を切って山鉾を神域に導く
「注連縄切り」や、

巨大な鉾を交差点で90度回転させる
「辻回し」などの見どころがある。


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ルートと通行規制は以下のとおりです。



ほとんどの人は「四条通〜河原町通〜御池通」のどこかで見ていると思うのです。


豪快な辻回しも最初の「四条河原町」交差点か、
次の「河原町御池」交差点がいいと思われてる
方が大半でしょう。



僕も以前はそうでした。
でも、それでは山鉾巡行を「わぁ〜スゴいスゴい!」と見るだけに過ぎないことに、気づいたのです。


「本番」はその後にある、と。



しずしずと巡行してきた山鉾は「終点」の新町通御池で辻回しをしたあと、
それぞれの鉾町(ほこちょう)に帰っていきます。
そこの辻回しに目をつけました。



四条通〜河原町通は4車線、御池通りは8車線の大きな通りですので、
歩道から山鉾まで距離が出来てしまい、遠目で見ることに。

でも、新町通は道幅4〜5mほどの一方通行路です。



ここでの辻回しは、前の2ヶ所と違い、狙いを定めて辻回しをしないと狭い新町通に入れないのです。
案外この場所って穴じゃないかと思い、早速そこに行ってみました。

ところが、新町通御池交差点付近には、先頭の長刀鉾の到着の11時を前にして、
僕と同じことを考えてる人達でカベが出来ていました。



全然 穴じゃなかったのです。
「付近」と書いたのは、新町通の1本西隣、釜座通(かまんざどおり)より立ち入り禁止だったからです。

もっと近くで辻回しが見られると思ったのに…。

↑人だかりのカベ


いい場所はカメラ野郎が陣取り、
僕のような か弱い(疑)観客は人の垣根の間から何とか見るのが
精一杯
です。



あ、長刀鉾が迫ってきて停まり、
稚児が強力
(ごうりき)に担がれて鉾から降りてきました!



御池通を塞ぐように出来た人の垣根が真っ二つに割れ、稚児がすました顔でそこを通り抜け、
後方に待ち受けていた1BOXのタクシーに乗り込み、さっさと消えうせました。


親のエゴの権化ともいえる長刀鉾の稚児。1000万円以上も寄付し、
わが息子を稚児にさせた親…。



それがおれの目の前を通り過ぎていく…。
石投げたろかい!と思っ…ゴホンゴホン!独り言です、独り言。

↑迫る長刀鉾

↑長刀鉾の稚児


稚児を放出し、お役ご免となった長刀鉾が、辻回しに手間取りながら、新町通に窮屈そうに入っていきました。


それを確認してから、僕は移動を始めました。



どこへ、って?
新町通へ、ですよ。
山鉾巡行はまだ続きます。本当の「終点」は、各山鉾の所属する鉾町ですからね。


↑「辻回し」を終えた長刀鉾



新町通の御池→三条間は狭すぎるために、観客の立ち入りは禁止されています。

釜座通から回りこみ、新町通三条まで歩いてきました。
しかし、ここも狭い道は観客であふれかえっていました。
でも、ここにいる人たちは「本当の山鉾巡行」を知っている人たちです。

鉾町に帰り着く直前の、ここが正念場ということを。




そこから新町通を北に見やると、鉾が道幅いっぱいにこっちに向かってくるのが見えてきました。

↑岩戸山 ↑船鉾



鉾の屋根に乗った男衆が、すぐそばに迫る電柱や電線を蹴って鉾に当たらないようにコントロールしたり、

↑函谷鉾 ↑菊水鉾



車輪の下に木を噛ませ、鉾の向きの微調節をしたりしながら、

しずしずとやって来ます。

↑南観音山




そして、山鉾が僕のすぐ目前を通り過ぎます。


道路にはみ出して写真を撮ろうとする観客に、「もっと端っこに寄ってください、危ないですよ!!」と
男衆の怒号が飛びます。



「鉾の前にいると危険です。
鉾にはブレーキが付いていません
から急には停まれません!
ハンドマイクの警官の声。


確かに、最大で12トンある鉾の動きはすぐに停まるわけがありません。
まだ死にたくない僕は道の端っこに張り付いていました(笑)。

↑南観音山


その大迫力さに、僕はあっけに取られていました。



立派な鉾も、

豪華絢爛な装飾品も、

音頭を取る男衆も、

手綱を引く沢山の町衆も、

ギシギシと渋い音を立てて回る車輪も、

全てが手を伸ばせば届きそうな所にあるのです。



これ以上の贅沢があってなるものか!!

↑月鉾

↑月鉾

↑菊水鉾


そして、通り過ぎた山鉾の後ろを付けて行く大量の観客。


その時は何かあるんかな、くらいにしか思っていませんでした。


↑放下(ほうか)鉾



次々と山鉾が、狭く電柱や建物が張り出し、観客で埋め尽くされた新町通を器用に通ってきます。

大興奮モードの僕は、ひたすらデジカメのシャッターを切り、山鉾の壮大さにため息をつき、
昼時で腹も減ってるのを忘れてただただ見入って(魅入って)いました。

このすごさは、御池通の「有料閲覧席」からでは、分かりやしない。
カネでは真の価値は得られないんや。

↑御池通りの有料閲覧席

新町通で見送った山鉾は全部で10基。

そして13時半。最後にやってきた、北観音山の後ろを
僕も他の観客に混じって歩いて
みました。



新町通をしばらく南下し、蛸薬師通を過ぎた所で北観音山が停まりました。

そこが北観音山の鉾町でした。

そこには、山を囲む異常なまでの人だかり。


そして13時50分。町衆のコンチキチンの演奏が長い横笛の「ピーーーー〜〜ッ」の甲高い音でもって終わり、
4時間半にわたった「山鉾巡行」は無事終了しました。

↑北観音山


刹那、観客から 地鳴りのように盛大な拍手と歓声が起こりました。
僕も無意識のうちに手が痛くなるくらい強く拍手をしていました。
目頭も熱くして。



ここまで見てこそ…ですよ。最高です。
京都人として最後まで見守れたことが、今回の何よりの収穫でした。

それから、山に装飾されていた笹を町衆が小さく切って観客に渡していきます。
神聖なお守り
になるんでしょうね。
ああそうか、それをもらう為に、観客が山鉾の後を付けて行ってたのか…。

↑北観音山の鉾町にて


そんな僕の感想はただ一言、
「来年も新町通で山鉾を見送るぞ!」


興奮冷めやらぬまま、四条通に出ると、もう早くも長刀鉾が解体されていました。→
結構早く片付けてしまうんですね。