ママはスーパーライダー
今回は、いつも原付ツーリングのお供をしてくれる、LEADの持ち主である、僕の母親について書いてみようと思います。
母親は当年とって5●歳。
世の「主婦」のように、昼間っから、お茶の間でテレビを観て過ごす、なんてことが、とても出来ない活発な女性で、
僕は小学生の時には、既に「カギっ子」でした。
色々な仕事を変遷した後、母親は遂に「自分のしたいこと」を見つけ、
2年前に、夢にまで見た「自分の店」をもつに至りました。
毎日忙しいながらも、好きなことをしている充実感で溢れていて、以前よりも生き生きとした日々を送っています。
チョット宣伝しとくと、「和のクラフトや陶器を売るギャラリー&喫茶」の店で、炭焼きの深入り珈琲が自慢です。
古い民家を改造した、靴を脱いで上がる、母親こだわりの「落ち着ける」和風の店。
僕の知ってるかぎりでは他に見受けられません。
宣伝終わり。
え?店の名前は、って? それはここでは書きません。
だって、某テレビ局の「隠れた穴場」店の取材すら断ったのに、書けるわけ無いでしょうが。
それでも、店が終わって家に帰れば、主婦業が待ち受けています。
それを少しでも助けようと、男共(=母親以外の僕の家族、含・父親)が家事を負担しています。
僕だって洗濯物をたたんだり、家族の夕食を作ったり、僕の仕事帰りに母親の店に寄って、手伝ったり、
商品の仕入先に行ったり荷物を受け取ったり、などなどしてるんです。
そんな母親の日常の足として、原チャが大活躍しています。
僕が「カギっ子」になった、小学生に上がったときに、我が家に原チャ「TACT(ホンダの50ccスクーター)」がやって来ました。
今までに 母親は 「TACT」 → 「TACT」 → 「LEAD(先代モデル)」 → 「LEAD(現行モデル)」と4台乗り継いでいて、
延べ走行距離は10万kmを超えています。
スゴイ。
その母親の原チャの走らせかたは、周りに関係なくマイペースで、前だけを見て走り、
突然何かを思い出して急ブレーキをお構い無しにかける、いわゆる「オバちゃん乗り(これは怖い)」とは縁遠く、
男も真っ青なアグレッシブかつ豪快なもの。
バイクの前カゴ、後ろカゴ、メットインの中、
さらに足元のステップにまで買い物袋や荷物を載せ、
どこでもビュンビュン走りまわる姿は、
母親仲間のあいだでも、「パワフルウーマン」と賞賛する声が上がったくらいです。
いまでこそ、雨の日はクルマで移動している母親ですが、家にクルマがなかった数年前までは、雨でもバイクでした。
それが原因で、僕がバイク乗りになった……わけではありません(笑)。
そんな母親も、歳をとれば、バイクを降りるやろうと踏んだ僕の予想は、大きく外れる結果を招くことになります。
今年の1月。母親はあろうことか、京都市の自宅から40kmも離れた滋賀県・信楽(しがらき)町まで、
陶器の仕入れをしに、LEADに乗って一人行ってしまったのです。
信楽町は陶器「信楽焼」の町。タヌキの置物で有名ですよね。あそこへ、です。
理由は、「(滋賀県)大津市〜信楽町までの道(R422:急カーブが続く、1〜2車線が断続する悪路)が狭くて、
クルマでは走りにくいから」だったのですが、それでも真冬に原チャで行くなんて、さすが僕の母親。
僕も「相棒」と雪の降る六甲山を走ったことがあるくらい、無謀なことを平気でしたもんですから、
カエルの親はやっぱりカエルなんやね。
さんざん陶器の店をハシゴして、日が落ちる頃に帰ってきた 我が母親のLEADには、
これでもか!な位、陶器の入った袋や箱が満載で(決してオオゲサな表現ではありません)、
この状態で、よくもまぁ 一つも落とさず、事故もおこさず帰ってきたもんやと、さすがの息子もあきれ返りました。
道中は「全開」で走ってたらしくて、片道1時間あまりで走り抜いたそうです。寒い中、それも往復で100kmも。
さすがの母親もかなり おくたびれの様子でしたけどね。
何度も言いますけど、原チャで、ですよ、それも、50代の母親が、ですよ。
実は、今日僕の運転する車に母親を乗せて、同じルートを通って信楽へ行ってきたんですけど、
狭い道で神経を使い、僕のほうがくたびれる程でした。それを母親は……。
うんと若い僕も顔負けです。参りました。
母親も、あと1年早くクルマの普通免許を取っていたなら、オマケで大型二輪免許が付いてきたんです。
そうなっていたら、母親は僕よりバイクで激走していたんじゃないかと、畏怖の念にかられました。
きっと、幾つになってもバイクに乗り続けるんやろなぁ。そうやってほしいなぁ。
それが、おれの「かーさん」やもん。
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このコラムには続編があります。そちらもどうぞ。