ど真ん中で囲むのは…




僕たちの古都・京都は、紅葉も終わるというのに秋がだらだらと続いていましたが、
師走も1週間が経ち、やっと冬の寒さが訪れました。



家で寒さをしのぐのに最適なのはコタツでしょう。
足を突っ込んでテレビ観ながらミカンを食べるのなんて最高ですやん。
面倒くさくなったら、そのまま寝ることだって出来ますし(笑)。
もうコタツから一歩も出られません。



誰が考えたんでしょうね、これほどまでに冬場のニンゲンを怠惰させてしまうものを。



京言葉には、古くから存在するモノの名前や女性の名前の先頭に「お」をつけ、末尾の1文字を削って言う慣わしがあります。

たとえば、煎餅→おせんべ、座布団→おざぶ、枕→おまく、美和子さん→お美和さん…ってな具合です。


これは、何にでも当てはまるわけではないのですが、
コタツはこの方式に当てはまる単語でして、僕たち京都人は普通に「おこた」と呼んでます。



そんなズボラアイテムである、おこた。別の使い方があるのをご存知でしょうか。
今でもあるのかなぁ。おこたの天板を裏返すと、緑色の布張りになっているものが。

これは一体何に使うものなのかと 幼い頃は思っていましたが、
あるときにそれを知ることになります。



麻雀をするためなんです。



天板の縁が2mmくらい立ち上げてあり、麻雀牌を揃えて並べるのに都合がいいようにしてあると分かったのは、
僕が麻雀をするようになったときでした(笑)。


おこたを雀卓 (ジャンたく) にするだなんて、それこそ誰が考えたんでしょう。



足元ぬくぬくで卓を囲めば みんなお尻に根っこが生えるに決まってるやん。
これで煙草スパスパ吸いながら半荘(ハンチャン)やって、「レート300円な〜」なんて言ってたら、
さながら即席の雀荘 (ジャンそう) です(笑)。


僕が麻雀にハマったのは高校3年のころでして(汗)、僕の部屋が一度だけ雀荘になったことがありました(笑)。



僕の決まり手は初心者丸出しの分かりやすいものばかりで、
相手の捨て牌から手を読めず 振り込んでしまう (相手の上がり牌を捨ててしまう) など、カモにされ、
箱下 (点数がなくなること) 連発。


唯一あった、「立直 (リーチ) ・三槓子 (サンカンツ) ・ドラ12という、
和了 (ホーラ;上がること) 出来れば数え役満という、僕にしては奇跡のような形で聴牌 (テンパイ;あと1牌揃えば和了) してるのを
流局 (場に牌がなくなり終了すること) し、
卓を囲んでいたツレには紙に「負け犬」と大書きされる始末 orz



「僕と おこた」というテーマで語ると、こういう思い出が甦るわけです。
四半世紀以上経ってるのに、今でも鮮明に覚えてますよ。ちくしょう覚えてろフカポン(仮名)!!



そんな おこた が、こんな場所に出現してちょっとした話題になりました。






これ、片側2車線の道路の交差点の ど真ん中です。

(同じ場所を取り上げたコラムも書いてます→「枕元にやって来るのは…」)
(記事中の「石垣撤去計画」についてもコラムにしています→「新世代メディア」)



路上で おこたを囲んでいます


信じがたい光景です。



先に結論を書いておくと、やらかしたのは京都大学の学生・院生らで、
3人が道交法違反で逮捕されています。後に3人とも罰金刑に処されました。



京大は、昔っから最高学府とは思えないほど自由な校風が持ち味なんですね。
毎年11月に開催される学祭「11月祭」に遊びに行くと、僕が通っていた私立大とは何もかもが「違う」んですよ。
なにがと問われると、僕の肌で感じる感覚がそう言っているとしか表現できないんですが…。


それでいてノーベル賞受賞者を数多く輩出しているのですから、学生らは頭脳明晰のはずなんです。
きっと、賢すぎるんでしょうね。


そのベクトルが災いしてか、しょっちゅう すったもんだ(相手は大学当局だったり、ケーサツだったり)を引き起こしてますわ(笑)。

京大生らしい、人に迷惑をかけない自由な表現方法に期待しますよ。




記事引用:毎日新聞 2018年3月8日付夕刊