給水所の大食漢 (2006年 第23回木津川マラソン)
僕がマラソンを趣味にしてから早2年。
大会に出るといっても、いつもハーフマラソン(21.0975km)や、10km部門に甘んじていました。
これではいけない。マラソンランナーたるもの、最終目標はフルマラソンではないか。
そこに都合よく現れた大会が、僕の運命を揺さぶった「木津川マラソン」でした。
実は、昨年(2005年)にも木津川マラソンに出ていたのですが、 そのときはハーフマラソンでした。 当時走った感想は、「楽やん」。 その2週間前に「高槻シティ国際ハーフマラソン」で足を捻挫し、 リハビリのつもりで出た木津川マラソンが、 意外や意外、かなりのハイペースで走れたのです。 それもそのはず、コースは木津川の堤防上のサイクリングロードを延々と走るのですが、 アップダウンがほとんどなく、 フラットなのです。 そして、この大会の大きな特徴は2つ。 ひとつは制限時間がないこと。 大概のマラソン大会はタイムの足切りがあり、 あまりに遅いランナーは関門などで自動的に失格になる残酷さがあります。 (「5600人の京都シティハーフマラソン」参照) でも、木津川マラソンはそれがありません。 何が何でもゴールさせてくれる懐の大きさ。 だから、エントリー者数もヘンピな場所での開催(失礼)にもかかわらず、 4部門(3km、5km、ハーフマラソン、フルマラソン)合計で 3619人の方が参加されています。 出るしかないやん。 ほとんど勢いだけでエントリーしました(笑)。 |
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↑こういうサイクリングロードを走ります |
2006年2月5日、日曜日。
大会慣れしている僕は、悠々と遅い時間に会場に着き、悠々と着替え、
さて最後にトイレに行くか〜と行ってみれば、長蛇の列。
やっと用を済ませたときには、スタート10分前。もうウォーミングアップしてるヒマすらありません。
あわてて身支度と荷物の整理をしてスタートラインに並んだのは、スタート5分前。ぎりぎりセーフです。
腕時計をしない僕は、レース中に時間を知る術がないですので、
時計代わりにPHSをウェストポーチに忍ばせました(笑)。
スタート前に「マラソンに出てるねん」メールをしまくったせいでバッテリー残量が心細くなっています。
電源を切りました(笑)。どうせ誰もレース中に連絡してくるはずがないし。
この期に及んで右ヒザに鈍い痛みが。コンディションは最悪です。
遠くでスタートの号砲が鳴りました。
でも、後ろのほうに並んでいる僕はいつまでたっても列が動かずじっとたたずんだまま。
フルマラソンのエントリー者数は2041人(男子1767人、女子274人)。そりゃ動かんわ。
僕がスタートラインを通り過ぎたのは、号砲が鳴ってから3分後のことでした(涙)。
身長よりも背の高い枯れススキの間を走っているときでしたので…2〜3km地点くらいでしょうか、
まだランナーたちに元気がみなぎっていたので、あちこちのランナーたちの話し声が聞こえます。
僕の横を走っていた20代後半らしき男2人組の会話が耳に入りました。
「このペースで、ずーっと走り続けられる気がするわ」
僕も心の中でそう思っていました(笑)。
日ごろの練習不足の成果を遺憾なく発揮しないよう、かなりセーブして走っていましたので僕も余裕でした。
それが甘いんだよ明智君!!(意味不明)
そのうち、どこからも会話は聞こえなくなり、黙々と走る集団と化していました。
ここでコースの説明をしましょう。 |
京都府南部の京田辺市・木津川にかかる「山城大橋」をスタート・ゴールとし、 木津川の堤防上のサイクリングロードを往復する42.195kmで競います。 まず、山城大橋から9.5km地点まで木津川を上流に向かって走り、開橋をくぐり折り返して下流に向かいます。 下流へ22km。途中、山城大橋・近鉄京都線・京奈和(けいなわ)自動車道・第二京阪道路・R1をくぐり、 京都府八幡市で2回目の折り返し。 上流へ10km余り走り、山城大橋でゴール…というわけです。 橋をくぐるときと堤防の上り下りが2回ほどある以外は、ほぼフラットなコース。走りやすいです。 |
しかし、このときには2つの曲者が走りを妨害してくれました。
下流→上流に向かっての強い風と、低い気温です。
強い風は9.5→31.5km地点までの下流に向かって走るときに、向かい風となり、本当に走りにくいのです。
20km余りも向かい風にさらされると腹が立ってきます。
堤防上なので遮る物がなく、容赦なくランナーに襲い掛かります。
そして、この日の9時45分の気温は、わずか3℃。
この時期の走りには必須の手袋をしないで走ったために、手がかじかみ力が入りません。
ま、条件はみんな同じですし言い訳はやめましょう。
先頭ランナーを先導してくれるバイクは2台。
エリミネーター250VとZZR400でした。
ちなみに、ハーフの部の先導は、スーパーカブ90。
差別化を図りすぎではないですか?
どっちにしても白バイは来てくれないんですねorz
遅くなりましたが、この大会の大きな特徴の2つ目、
給水所がやたらとあることです。
フルマラソンの場合、片道8ヶ所、往復で16ヶ所もあるのです。
こんなに給水所だらけの大会ほかにもあるのでしょうか。
それぞれに飲食物が豊富で、
バナナ・パン・あめ・チョコレート・クッキー・梅干し・レモン・水・お茶・スポーツドリンクなど
盛りだくさん並べられてます。
しいて給水所の不満を言えば、その間隔が1km未満のところがあるかと思えば、4km近く無いところもあることでしょうか。
すべての給水所に立ち寄り、食べ放題飲み放題状態の僕。
走ってるとお腹がすくんですよね。特に昼時をはさむ長丁場ですので余計にね。
給水所では普通のランナー同様、走りながらパッと水を取り、走りながら飲み干し、空いたコップはその辺に投げ捨てる
…のではなく、ごみ箱へ。
給水所周辺の沿道は、投げ捨てられた紙コップの山でしたけど(笑)。
などとカッコつけていましたが、そんなの最初だけ。
向かい風を走る10km台から後の給水所では、立ち止まってメニューを吟味。
いわば「デパ地下」の試食コーナーを食い荒らしている感じです(笑)。
じゃあ…「チョコレートとクッキーと…あとスポーツドリンク貰っておくか」などと悠長なことを言い出す始末(笑)。
奥のほうで「温かいお茶もありますよ〜」の声がかかれば、遠慮なく
「いただきますー!」(笑)
寒さで体の感覚がマヒしているので、熱いお茶が手にかかろうが何も感じません(笑)。
バナナは何本分食べたか分かりません。だっておいしいんやもん(笑)。
広い給水所では思いっきりくつろいでます。平和な大会だ(笑)。
エアーサロンパスもいっぱい使わせてもらいました。ありがとうございます〜。
給水所のおじさんに「給水所を楽しみにしながら走ってるんですよ〜」と言って笑いを誘ったりしてる僕。
こんなことをしてる間にタイムはどんどん遅くなり、ほかの選手には抜かれまくりますが、至って気にしてません(笑)。
アホかお前は、何をしに来てるんや、のお叱りを受けそうですが、
ただただ走るだけの禁欲状態になると、こういうことしか楽しみがないんですよね。
僕にとっては、お祭り感覚ですから。せっかくだから楽しまなきゃ。
くつろいだと言っても、各給水所でせいぜい1分程度、最高で2〜3分ですよ。
で、調子に乗って食べ過ぎてお腹の様子が変になるorz
電源を入れ復活させたPHSに走っている最中にもメール着信。
走りながら読みました(笑)。
光姫「快晴でよかったね!日ごろの行いね!頑張って(o^-')b」
日ごろの行いだと、大雨ですよー。
M・大先輩「たぶん応援に行けんと思うわ。大阪へ野暮用で行かなあかんねん。ゴメンな、ガムバレ〜」
なんだって〜!!「応援に行くわ」と事前に言っていた同級生の「西(仮名)」は来ないし、
コースの近くに住んでる大先輩に期待していたのに…。
さらにM・大先輩からメールが。
「携帯持参で走るん?」
すごく意味深な内容。どういうことだ?大先輩の家の近所にきたら電話してみよう。
1度目の山城大橋にたどり着き、ここで20km。いよいよ走ったことのない未知の世界に突入やなぁと思っていると、
フルマラソンの10分後にスタートしたハーフマラソンの表彰式が行われていました。
そうか、いつも走ってるハーフはこんなに早く終わるのか…って、おれ、まだハーフマラソン分を走らなきゃいけないんですけどー!!(-_-xx)
未知の割に順調に距離を伸ばします。1kmごとにあるキロポストを眺め、「あと○kmや〜」と自己暗示をかけて。
半分は過ぎていますので気分も少しは落ち着きます。
M・大先輩の家の近所、32km地点の給水所を発つときに 大先輩に走りながら電話攻撃。 かなり横着です(笑)。 それにしても、さっきの気になるメールはなんだったのか…。 すると、 2km先の、次の給水所(34km地点)に大先輩が待っていると 言うではないですか!! がんばって走り、給水所につくと、本当にM・大先輩はそこにいました。 |
↑34km地点にある「流れ橋」。 時代劇でもよく使われています。 |
野暮用があるから行けないと言いながら来てくれる辺り、
さっすが大先輩!!
大後輩も、すんごくうれしいです!!! 写真も撮ってもらいました。→ なかなかいい空でしょ。 2月のゆるい日差しでも十分日焼けして、顔が赤くなってます。 |
この地点でゴールまで後8km。全体の5分の4が終わろうとしています。
もうひとっ走りやん…油断しました。
そこで一気に疲れが出てしまい、ペースがガタ落ちに。
腕を振っても足が出てこない。ついに37km地点で歩いてしまいました。
給水所以外は走り通そうと思っていたのですが、もう、ガマンがききませんでした。
気力を振り絞り、再び走り出すも、1kmほどでまた歩きに…。周りのランナーにも元気が見えません。
もうアカンわ……。
そんな僕たちランナーに変化が現れたのは、39km地点を過ぎたところでの沿道のオバチャンの応援文句でした。
「(ゴールの)橋が見えてるよ」
前方に目をやると、小さくですが、夢にまで見た赤いアーチをまとった山城大橋が見えました。
…本当に還って来たんや。還って来れたんや。
自分自身との闘いの勝利を目前にし、はばからず涙がほおを伝いました。
動かなかったはずの足が、軽やかにステップを踏みます。
ありがとう、オバチャン!!
泣くのはゴールしてからにしろと自分に言い聞かせても ぼろぼろとあふれ続ける涙を、シャツの袖で何度もぬぐいながらラストスパート。
周りのランナーもスピードが上がっています。
少しずつ、でも確実に山城大橋は大きくなっていきます。
40km、41km、42km…
ゴール直前、沿道の声援が大きくなり、山城大橋の下をくぐるときの、 あの大きな横断幕が更に僕に力を与えてくれました。 完走できた者だけに与えられる最大の賛辞。 |
そしてフィニッシュ。
「よっしゃー!」と雄叫びを上げました。
おれはやった、やったぞ!42.195kmを制覇したぞ!!
時間、4時間47分5秒。1087位。(フルマラソン男子完走者1540人中)
目標は時間を問わず「完走すること」でしたので、4時間台で走りきれたのが最高にうれしかったです。
10kmごとのラップタイムは
0→10km | 10→20km | 20→30km | 30→40km | 40→42.195km |
1時間6分 | 1時間0分 | 1時間12分 | 1時間16分 | 13分 |
後半に給水所でゆっくりしていた分を差し引くと、思ったほどペースは落ちていなかったのです。
こうして、僕の2006年の木津川マラソンは幕を閉じました。
全力を使い切り、もうまともに歩けない状態でしたね。
帰りの近鉄電車の車窓から、木津川の堤防を走るランナーたちが見えました。
スタートから6時間が過ぎていますが、懸命に走っているのが分かりました。
あと3km、もう少し走ると山城大橋が見えるぞ。あきらめずに走れ!
そう心の中でエールを送りました。
(サイクリングロード、流れ橋、えいまるスナップ各写真提供; M・大先輩 ありがとうございました)
(2006.2.6)