足元の分身に 2007年・第24回京都木津川マラソン大会



僕のスポーツの趣味といえば、筋トレとマラソン
運動している人なら、この両者をこなすことは、使う筋肉の種類が違うので、困難なのはよく分かると思います。
けれど、僕も欲張りなので、どちらかひとつに絞れってことが出来ずに、今に至ってます。



ますます長距離走に適さない体型になっていくなか、走ってきました。

人生2度目のフルマラソン、その名は「第24回京都木津川マラソン」


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マラソン会場に向かう電車の中で、肩をもんだりストレッチをする僕。
欲張りかつ、おバカな僕は決めたメニューは必ずこなす、妥協できない産物の結果、
マラソン大会前日までジムで筋トレをし、筋肉痛になっていたのでした。
そりゃ一晩くらいじゃ筋疲労は取り切れへんわい!


しかもマラソンの練習は基本的にキライなので、毎日たったの5kmしか走らず、
また体重は80kgの大台に乗ってしまう次第で、どう見てもマラソンランナーに見えません。
一応悪あがきして体を絞り78kgに減量しましたが、それでも太い体。
あとは信じていない神様にお祈りしながら走ってみるか(笑)



2007年2月4日、朝9時。
会場である、赤い大きなアーチのある山城大橋のかかる、木津川河川敷に到着。
エントリー受付で参加賞を受け取りました。ショルダータイプのスポーツバッグです。
去年はウェストバッグ、その前も大きなスポーツバッグ(どれも大会イメージカラーの真っ赤)と、
バッグばっかりくれるこの大会。
たまには違うものを出しなさい!!(笑)



気温6度、天候曇り。走るには絶好の気象条件です。
去年のときは素手で走って手の感覚がおかしくなってしまったので、安物の軍手を装備して走ります。
走り出して分かったのですが、これだけでも十分防寒になるんですね。安物あなどるべからず。


コースは山城大橋を起終点に、

ます木津川堤防上のサイクリングロードを10km上流へ、
折り返して山城大橋を通過し、21km下流へ、
また折り返して上流へ11km…で山城大橋へ向かう42.195kmです。



10時。スタートの号砲が鳴ってから、実際に走り出すまで2分以上のロスが。
出発は申告タイム順で遅い僕はかなり後方にいたのでなかなか動きません。
2305人のランナー(フルマラソンの男女エントリー総計)が一斉に狭いサイクリングロードへ繰り出しますので、
最初の4〜5kmくらいまでは思うようなペースで走れません。


ま、この大会も2回目ですので前回よりは要領が分かっています。
コースの流れやどこで立ちション出来るかとか(笑)。してませんよ。



走り始めて1kmもしないうちに昨日の疲れが…。肩が重いよ。
ひざも疼(うず)いてきてるし、ふくらはぎに軽いケイレンが。これはスクワットのせいに違いないorz
タダで神様にお祈りしてる不届き者への罰ですか?(涙)



前回は給水所で食べ放題飲み放題をいいことに、レース中とは思えないほど食い荒らして体調不良に陥りましたので、
控えめに給水を受ける方針へ。

2km地点の最初の給水はパス。僕らしくありませんが、完走するためにガマンガマン。
しかし、次の給水所からはやっぱり食べ始める姿がありました。
バナナは全行程で3本分に抑え(笑)、かわりにチョコレートやスポーツドリンクをいっぱい飲みます。
黄色いクエン酸ドリンクはおいしくないし、ニンゲンの液体排泄物を想像するので、次回からはアクエリアスかポカリにしてください(笑)。



足の調子は怪しいままですが適当に神様にお祈りしながら走り続けたおかげか、足がつったりすることもなく、
12時を過ぎたころに20km地点、スタート地点である山城大橋に帰ってきました。
これから後半戦や。赤いアーチに向かって「絶対帰ってくるからな」と誓いつつスタート地点のほうを見ると、


僕たちよりずっと後にスタートしたはずの3km、5kmの部の表彰を行っているではないですか!


おれたちまだ2時間以上走り続けなきゃならんのに、どういう了見やねん。
最終ランナーが帰ってくるまでお預けにしとかんかい!!



前回同様10km地点までは風を感じず、気持ちよく走れていたのですが、
折り返した途端、ゴーゴーと耳を突く風切り音。向かい風です。
さっきまで気持ちよく走れていたのは追い風だっただけなのですorz

と、いうことは…

そうです、またしても10→30km地点までのあいだ、ずっと向かい風。さらに日差しが強くなり始めます。
走ると体が温まりますので、気温は低いほうがいいんですよね。
この日は小春日和だったと天気予報でも言ってたほどの暖かさとなり、普通に過ごすなら快適な気候でした、が、
走ってる僕たちにとっては暑いです。徐々に体力をむしり取られていきます。


23km地点で先頭のランナーとすれ違います。
反対側は39km地点のはず。くっそ〜大差をつけられてるやん!



フルマラソンとハーフマラソンの部には、キリのいい時間で走ってくれる「ペースランナー」がついてくれます。

フルで3時間・3時間半・4時間・4時間半・5時間・6時間のペースランナーが、
ハーフで2時間・2時間半のペースランナーがつき、ランナーの走りをサポートしてくれます。

全てのペースランナーとすれ違いましたが、どれもペースランナーを先頭に大名行列状態(笑)。
いや、ペースランナーの後ろを金魚のフンのごとく付いて行ってると言うべきでしょうか。



ほぼランナー専用となっている堤防上の狭いサイクリングロードに、
突如パジェロが突入
河川敷が格好のオフロードコースとなっているので、そこへ行くためにサイクリングロードを通ろうとしたようです。
車1台分程度しかない道幅のところにパジェロが強引に入ってきたので、ランナーが慌てて避けています。
おいこら、なんでここには大会係員が立ってへんねん!ヘンな車をコースに入れさせるな!
ってここはもともと自動車通行禁止やろ!


平和な大会に乱入する自分勝手なパジェロに対し、
僕が手を下すまでもなく、堤防の斜面から転がり落ちてくれることを切に希望しました(笑)。



2回目の折り返しを過ぎると残り10kmあまり。長い長い向かい風との戦いが終わり、追い風になりました。
練習不足の割に予想以上のハイペースで走れて気をよくしていました。
決して無理をしているわけではなく、巨漢の自分自身に負担がかからないよう、周りのペースにも惑わされないように
セーブして走ってきた賜物です。別名、手抜き(笑)。



そしてやってきました34km地点。時代劇の撮影でも有名な「流れ橋」に到着です。
前回は、ここで職場のM・大先輩が待ち構えてくれていましたので今回も前日にお誘いしてみたのですが、
その姿はありませんでした。


前日にHPに「『流れ橋』まで応援に来なさい」と告知しておきました。
一人ぼっちの戦いの僕を、元気付けて欲しかったから。


こんな一方的なアナウンスで誰も来てくれるはずが無いよなぁ…と思いつつもあたりをキョロキョロして見渡すと、
僕に向かって消極的に手を振ってる人物が。
HPの常連、Commonさんでした。
をををーーーーっっ!!本当に応援に来てくれたん?

あまりにうれしかったので思わず足を止め、
感謝の気持ちと雑談とPHSで写真撮影もしてもらいました。
右手と右足が前に出てるポーズは写ってなくて良かった(笑)。
テンションが高くなりまくりの僕は大声でまくし立てちゃったので、耳障りだったかな?


残り8km。ここから風景が急に殺風景となりヤル気がそがれます。
前回はここで油断して足が逝ってしまい、歩くという失態を犯していましたので、気は緩めません。
けれどもやっぱり体力の限界を感じ、キツい。
走るのがイヤになり歩いてしまいたい!と思っていました。



が、不意に不思議な気配を感じ、横に視線をやると、
「あいつ」がいました。



おれは独りじゃないんや。走るぞ。


35km……36km………37km…………


同じはずの1kmの区間が、だんだん長くなってきました。
そんなはずがないのに。疲労のピークから距離感まで狂ってきているようです。

先はまだか、まだか!とイラついた時、また気配を感じ、振り向くと、
やっぱりそばに「あいつ」がいました。


おれは負けへんぞ。


38km。黙々と走り続けた僕の視界を、一瞬 赤いアーチが駆け抜けました。

マラソンの起源となった、遠く2500年も昔。
ギリシアのマラトンからアテネへ、戦の奇跡の勝利を伝えるために
42.195kmを命を懸けて走ったという若き兵士
を思いました。

あのときの僕は、疲弊しきった兵士の目にアテネの街が見えてきたときと同じ感情だったに違いありません。


刹那、涙があふれました。「あいつ」はただ黙って僕のそばにいました。


39km
山城大橋の赤い大きなアーチが、待ってたで!と言わんばかりに僕たちランナーを出迎えてくれています。


42km。山城大橋の下をくぐると急な上り坂。
たくさんの観衆の皆さんが声援を送ってくれ、その中の「最後や、走れ!」の声に気圧され、
最後の力で上りきると、

「ゼッケン399番、おかえりなさい!」のマイクの声。


拍手で迎えられながらフィニッシュ。
ただいま!



4時間45分14秒。1054位(完走者1555人中)。

0→10km 10→20km 20→30km 30→40km 40→42.195km
1時間5分 1時間2分 1時間7分 1時間16分 15分

30km台が大きく遅いのは、Commonさんと喋っていたせいです(笑)。


前回より2分弱の記録更新となりました。
今年の目標は3ケタ順位でしたが、それは次に持ち越しです。


長かった42.195kmと別れを告げ、完走に安堵している僕の目の前に、さっきより姿を長くした「あいつ」がいました。

ずっと付きっ切りで見守ってくれた、僕の影法師が。


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帰り道の近鉄電車ではあまりの疲労に抜け殻状態でした。
が、電車が木津川を渡っているのに気付き反射的に堤防に視線を向けると、
夕暮れの中を走っている6時間半ランナーの姿が。

山城大橋はもうすぐや!走れ、走れ!走って走って走りぬけ!
足元の影法師も見守ってくれてるぞ!!


電車の窓を開けて、腹の底から叫びたかった。全てのランナーのために。


(2007.2.8)